トリコロールたちとの日々

On vit ensemble, on meurt ensemble.(レ・ブルーと共に生き、共に死ぬ女のブログ)自分で見返す為に書いてる

Les Bleus EURO2020メンバー26名発表 ①ベンゼマまさかの代表復帰

見てくれた方はじめまして。私は約20年間フランス代表を応援している26歳女です。

 

簡単に言うと私は祖母がフランス人なのですが、小学生の頃いわゆるハーフ(クォーターという言葉を知ってる子どもはほぼいなかった)って言葉が大嫌いでした。今もどちらかというと嫌いです。

とくに日本という国では普通ではないというイメージを与えがちな言葉です。「半分、2分の1」なんて言われていい気持ちにはならないですからね。

 

ただそんな自分のルーツに誇りを持ってもいいんじゃないかと思うようになったきっかけがありました。

それがあのジネディーヌ・ジダンが中心となり世界王者、欧州王者に輝いたLes Bleusでした。「サッカーに人種はない」とは、かのミシェル・プラティニの名言ですが、まさにフランス代表はそれを体現するチームですね。

 

初投稿の今回は、もはや一大イベントとなったデシャンによるフランス代表のメンバー発表、先日のEURO2020の26名のリスト発表を振り返りたいと思います。


★発表前、フランス中、世界中がざわついたベンゼマ復帰のスクープ

今回のメンバー発表は日本時間の19日水曜日早朝3時20分、現地の18日20時20分頃からフランスのTV局TF1とM6で放送されました。(全く関係ありませんが、当日、この2局は合併する可能性があると報道されました)私はTF1で観たのですが、2014W杯、EURO2016、2018W杯の時と同じで生放送のニュース番組放映中に発表されました。W杯とEUROのメンバーはFFFフランスサッカー協会YoutubeチャンネルではなくTVで発表しています。ちなみに今回はニュース番組の男性キャスターではなく、フランスの2大TV局TF1とM6でサッカー番組の司会をしている2人の女性のインタビューに応じる形でした。

この発表前からカリム・ベンゼマが26名の中に入ったことはすでに報道され、日本のネット記事でも話題になりましたね!デシャンは今まで険悪な雰囲気になって干した選手でも、時間が経ち所属クラブでふさわしい活躍をしたときは呼び戻したりしていました。またジルー、グリーズマン、エンバペ以外にコンスタントに点を取る選手が居らず、ジルーはご存知の通りチェルシーでは出場機会が限られている状況なのでデシャンが不安を感じていたとしても不思議ではないと思いました。とはいえ私はデシャンの口から聞くその時まで信じられなかったです...

 

なぜならデシャンベンゼマを外してきたのは例のマテュー・ヴァルブエナの問題が主ではなく(もちろんEURO2016のときはそれが原因であり、追放のきっかけにはなりましたが)かつての師エメ・ジャケ監督(ジダンテュラム、アンリ、トレゼゲ、ピレスらを代表チームに抜擢し、1998W杯でフランスを世界王者に導いただけでなくフランス代表黄金期の礎を築き上げた名将)のチーム作りを選手として経験している事と、デシャン自身に対するいわれのないベンゼマの非難が原因だったからです。

 

ジダンジョルカエフを自由にプレーさせ、世代交代と新陳代謝を図るために当時のスーパースターでありユナイテッド、いやプレミアリーグの王に君臨していたエリック・カントナと後の1998-1999シーズンにプレミアリーグのMVP賞であるFWAとPFAのダブルを達成する程の実力者ダビド・ジノラをEURO1996のメンバーから外したジャケの判断は結果的には正しかったとは言えませんが(EURO96は決定力不足に悩み準々決勝、準決勝共にスコアレス、ベスト4で当時は伏兵扱いのチェコに敗退、ジダンも期待されたほど活躍できず)その決断は長期的に見れば98W杯から06W杯までの黄金期に繋がりました。そしてカントナを外したきっかけになったのもこれまたベンゼマと同じでカントナ本人のパーソナリティーの問題でした(みなさんご存じのカンフーキック事件。笑)選手時代のデシャン自身にとってもカントナがいなくなったことでチーム内においてローラン・ブランとともにリーダーとしての自覚が芽生えたことは容易に想像ができます。

 

デシャンもEURO2016でベンゼマと大怪我から復帰したばかりのリベリーを招集するという決断はせず、グリーズマンとポグバをチームの主軸に据えEURO2016に臨みます。結果はジャケと同じで優勝はできずその決断が100%正しかったとは言えませんが、フランスはその悔しさをバネにキリアン・エンバペという超新星の力も加わり2018W杯で世界王者に輝きました。

 

また、ベンゼマは前述したようにEURO2016のメンバーから外れることが決まった後、「デシャンは人種差別主義者に屈した」ととんでもない批判をしています。

jp.reuters.com

そもそもこの批判は、その数日前にあのカントナが自身と同じ境遇に置かれたベンゼマに同情したのか「デシャンは人種差別的理由によってベンゼマベン・アルファを選ばなかった」と根拠のない主張をした事が発端でした。自分のお気に入りの選手が選ばれなかったからその様な発言をしたのかもしれませんが、あろうことかベンゼマ自身がそれに便乗して「レイシストとは思わないが人種差別主義者たちに屈した」とデシャンを非難してしまったのです。

 

この発言に対してはそもそもフランス代表に親や祖父母の代から生粋のフランス人なんて少ないとか、言わずと知れた国家の英雄ジダンの両親もアルジェリア出身のベルベル人でそのジダンデシャンは長い付き合いがあるとか、いろんな角度から矛盾点を見出すことができるし、ただのはったりである事は明らかだと思います。でもテーマがテーマ。ましてやフランスでその様な話題は非常にデリケートであり、デシャンは自宅にレイシストと落書きをされてしまいます。このあまりにもひどい一件によってベンゼマは自ら代表への扉を閉ざしてしまったに等しいと考えられました。

 

ベンゼマがいなくなった後1トップを務めたのはオリヴィエ・ジルー。2011年の代表デビューから約4年間、ベンゼマとポジションを争っていた彼はベンゼマ追放から現在に至るまでLes Bleusの先発として活躍。2018W杯では得点こそありませんでしたが、足下の技術の高さと恵まれた体格によるポストプレーやプレス、圧倒的な存在感。そして温厚な性格で若い選手が多いチームにおいて良いお手本となりました。もちろんベンゼマグリーズマンは実はベンゼマが追放されるまで結構いいコンビネーションを見せていたので、もしかしたらベンゼマを呼んでてもうまくいったかもしれませんが、17-18シーズンのベンゼマはまだクリスティアーノ・ロナウドのサポートの役割を担っていたので得点数があまりにも少なく(リーガで5ゴール)デシャンどころかフランス国民の間でも待望論は少数派になっていました。

その後クリスティアーノ・ロナウドレアル・マドリードを去ってからの3シーズンのベンゼマの活躍ぶりは語るまでもなく、今シーズンは33歳にしてラ・リーガで15-16シーズンの自己最多24ゴールに迫る23ゴールを記録。大事な試合、ビッグマッチでも得点を重ねデシャンの考えを変えるに至ったのです。

 

でも今年1月にデシャンはこのように語っており、私はどうしても最後まで信じられませんでした。

www.afpbb.com

今回のメンバー発表のインタビューでデシャンは、ベンゼマと会ったのはつい最近ではないがそんな前でもないと言い、

ベンゼマと会っていろいろな事を話し合う必要があった。内容は明らかにしたくない。…私はいつも(選手を選ぶのに)個人的な事情は考慮していない。Les Bleusは私だけのものではない。」

と、フランス代表の為に個人的感情を解決したことを語りました。これでデシャンの人間としての器の大きさと大国の代表監督としての力量をフランス中が知ることになりました。(私がデシャンだったら許せないかも)

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画像元:TF1

 

また、以下のようにも語っています。

ベンゼマとジルーの間には常に競争がある。3年以上彼らは一緒にプレーしました。(ジルーの代表デビューからベンゼマのラストプレーまでの期間、実際は4年ほど)ベンゼマによってフランスはより良くなるが、ジルーを排除するわけではありません。」

グリズー、キリアンとのトリオについて「紙の上では上手くいくように思えます。…でもそんなに簡単ではありません。」

とにかくベンゼマとの和解はデシャンにとって優勝以外眼中にないという大きな覚悟の現れでしょう。

 

 

こんな調子でEURO開幕までLes Bleus談義を続けていきます

 

 

Au revoir!